怒りや憎しみの奥底にあるもの

こんにちは。千尋(チヒロ)です。
誰かを憎んだことはありますか?
「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉があるように、誰かを憎むことは昔から良いこととはされていないと思います。
そんなの当たり前だと言う人もいるけれど、誰かを許せない気持ちを持っている人は、実は結構いるのではないでしょうか。
これは私の経験からですが、カウンセリングを受けようと思ったり、自分の心について取り組もうとされる方のほとんどは、怒りや憎しみ、ではなく、不安や悲しみがきっかけの場合が多いと感じます。
そして、自分と向き合っていくうちに、隠れていた”怒り””憎しみ”が出てきて、その怒りや憎しみを解放して・・・というプロセスを踏んでいく、ということはよくあることです。
しかし、最初から怒りや憎しみであふれている人は、自らの心に原因を感じることはほとんどなく、どちらかというとその「相手」に原因がある、としていることは数多く見受けられます。
そのため、自分自身と向き合うことは後回しになってしまう、というケースも少なくありません。
もちろん、怒りや憎しみを感じた時に、それを抑えて我慢をする必要はまったくなく、むしろ、時には「誰かのせい」にすることも必要です。
けれど、いつもいつも意識が「外」に向いているのは、あまり良いことでないことは言うまでもありませんよね。
ところで、私たちがどんなに頑張っても絶対にできないことがあります。
それは「自分自身を見る」ことです。
鏡で自分の姿を確認することはできても、実態を肉眼で見ることはけっしてできません。
心の世界では「自分を知るために他人がいる」なんて言われますが、まさにその通りで、私たちは他人を通して自分の存在を確認しているのかもしれませんね。
このように私たちは他者との繋がりでしか自分を見ることができないので、人間関係であたかも自分がひとりぼっちのような孤独感を味わうと、”まるで自分という存在がいなくなってしまったような感覚”に陥ってしまうのかもしれません。
※よければ関連記事もご参照ください
さて、怒りや憎しみのは、特定の相手に向けられる場合もあれば、組織や社会などの集団に向けられることもあると思います。
きっかけはそれぞれだと思いますが、すべての根源は「孤独」からだと私は考えています。
自分をわかってもらえなかった
自分を受け入れてもらえなかった
自分を大切にしてもらえなかった
自分を認めてもらえなかった
など、これらの傷は人を孤独にさせます。
そして、その孤独感が、「誰か」への怒りや憎しみにつながっていってしまうのです。
怒りや憎しみで頭がいっぱいになるのはとっても苦しいですよね。
かと言って、「憎しみなんて感じてはいけない」などと自分の感情を否定することは、さらに自分自身を傷つけることになります。
怒りや憎しみの根源は孤独感、寂しさです。
自分の中の孤独に気づいたら、自分を傷つけた「相手」に意識を向けるのではなく、まずは自分自身の心の傷を癒すことから始めてみませんか。
自分が癒されたら、あんなに心を支配していたはずの怒りや憎しみが、スッとどこかへ行ってしまった、なんていうのはとってもよくある話です。